Writings: essay

もうひとつの「PARK CITY」
笹岡啓子

私が広島を撮影しているシリーズ「PARK CITY」を、そのまま本作のタイトルにしたいと松田正隆さんから提案された時、抵抗はなかった。たとえば長崎やあるいは別のどこかを公演のために撮り下ろすというのでもなく、テーマも広島にしたいという。未確定要素が多いなかで少なくとも予感としてあったのは、自分の写真作品とは別の、もうひとつの「PARK CITY」が立ち上がるということであり、そのことに私は期待と興奮を覚えていた。

舞台制作という慣れない環境に不安やとまどいはあった。これまでBGMも解説もエフェクトもつけないスライドプロジェクションとして発表していたけれど、ここでは音楽やセリフが乗っかるかもしれない。いや、メディア技術を駆使する先鋭スタッフたちなのだから、もっととんでもないことになってしまうかもしれない。そもそも演劇とはなんだろう。どうあれいったん、身をまかせてみようとだけ決めて制作に入った。結局私が要望したことはたぶん唯一、写真の投影に際して、フィルムに直接光を透すスライドプロジェクターを使いたいということだけだったと思う。本作での写真の存在は、背景でもキャプションでもない。舞台と観客、過去と現在、ここと広島、あるいは他所をつなぐ、文字通りのメディア=媒介者でありたい。不自由ではあるけれどフィルムの粒子や強い透過光は、ビデオプロジェクターのピクセルデータよりもその支えになってくれるはずだ。

がらんと開け白く照り返す、夏の平和公園はまぶしくてよく見えない。人気のない基町アパートの廊下は迷路のように反復されて、遠くから響く住人の声はよく聞こえない。見えにくさや聞こえにくさを言い訳に私たちはたえず見過ごしたり、聞き逃したりしているのだと思う。松田さんをはじめ、マレビトの会や制作に携わるスタッフのみなさんが実際に何度も広島に足を運んで取材されたことは、本作に登場するたくさんの「声」はもちろん、写真を扱う手つきにも反映されている。彼らが歩き、聞き、見ることを繰り返す姿勢に私はなによりも信頼をおき、30年余り見知っていたつもりの広島について多くを教えられ、考えさせられた。ここに立ち上がろうとしているもうひとつの「PARK CITY」は、今後も継続していく写真作品の「PARK CITY」へ、すでに多くの気づきと広がりを与えている。

*笹岡啓子「もうひとつの「PARK CITY」」『マレビトの会公演「Park city」』(公演パンフレット)山口情報芸術センター/滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール、2009年